善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか―救心録

大学生の頃から愛読してきた曾野綾子の小説やエッセイ
から粋なフレーズだけを抜粋した著作。
いわばエッセンス。
半分くらいの作品はすでに読んでおり覚えている
箇所もあったが、忘れているフレーズも多い。

スピリチュアル系の本は大好きだが、
甘い理想を打ち壊すような、現実主義的な思想も
精神のバランスをとる意味で定期的に読まなくては
いけないと、個人的には思っている。

おしるこに隠し味として「塩」を入れると
甘さが一層引き立つように、私の中では曽野の作品群は
スピリチュアルな世界の味わいを否定するどころか
むしろ一層それを際立たせてくれる。

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男でも女でも、かっとなる人はまず弱い人である。
かっとなった時には人間は攻撃的になり、
あたかも強者の如く見える。
しかしそれはヒステリー以外の何ものでもない。(p.57)
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親は、時には休むことも子どもに教えた方がいい。
人間すべて両方できないと困る。
いいことしかしない人など退屈で誰もつきあってくれない。
大悪はいけないが、
小さな悪もできないようでは、面白くない。(p.79)
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私たちは現実のただ中に常に生きているのである。
そこには限りなく善と悪との中間に位置する人生が
展開するだけである。
故にこの瞬間に、悪の姿が見えても、
私たちは絶望する必要もなく、
次の瞬間に善の輝きが見えても安心することはできない。
その葛藤の狭間に、私たちは育ち生きるのである。(p.126)
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私たちは「人は皆善人」と教えられた幼稚で危険な
教育を受けている。「人は皆悪人」と教えられても
やはり片寄った貧しい教育を受けている。
「人はさまざま」という教育を受けたときだけ
安心していられる、と私は思っている。(p.137)
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凧が空高く飛べるのは
だれかが糸を
引っぱっているから
でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている
その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに
・・・
凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家庭に対する扶養義務、
自分や家族の病気に対する精神的支援、理解されないこと、
誤解されること、などのことだ。
それらは自由を縛るようには見えるが、
その重い糸に縛られた時に、初めて凧は強風の青空に昂然と
舞うのである。(p.158)
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う〜〜ん、何とも深い曽野の洞察。
こういう懐の深さを大人の風情というのだろう。
スピリチュアルな世界もおもしろいが
こういうエッセイも味わい深くて好きだな〜。(^_^)

善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか―救心録