今日は息子の授業参観。
中2年生は全クラスとも共通課題で「働く意味」を
討論する授業となっていた。
来月、「職場体験」があるので、それにからめての
授業であるらしい。
授業は各クラスの担任の先生が行う。

「正答」のないこの問題の常識的な意見としては
「生活の糧を得る」という現実論と
「自分の好きな夢を実現する」という理想論との間で
各自の人生の中での落としどころを探り、折衷案を
見つけることが第一段階の答えだろう。

さらにそれをもう一歩深めて、
「働く」の語源が「傍(はた)を楽(らく)にする」
であることから、実は自分のためより、周りの人を
喜ばせることを主眼に置くようにすると、人生は
もっと面白く展開する、
なんて話を自分ならするだろうな、と予想しつつ
授業に臨んだ。

実際、父兄に対してもあらかじめ、仕事に対する
アンケート調査もあったので、上記のようなことを
書いて出しておいた。

が、実際の授業は、第一段階のありきたりの話で終わり。
父兄からの意見もほとんど展開されずじまい。
社会科担当の先生としては残念ながらちょっと物足りない。

30歳前後だろうか。
まだ若いから仕方ないか。
先生自身の側に上記のような意識がなければ、
当然の事ながら話を展開できようはずがない。

何より致命的なのは、授業に「リズム感」が全くないこと。(×_×)
「流れ」がないので、授業が退屈この上ない。
生徒は当然よそ事をする。
それを時々叱って威圧させながら無理矢理一人で進めていく。
「昭和」の授業だ。

「今年の社会科はちょっと悲惨(×_×;)」と
息子が言っていたことの意味がよくわかった。

色々な人がいる。
いつも自分にとって理想的な人間ばかりに囲まれる
とは限らない。そんな事は例外的な僥倖。
授業が役立たないのなら自分でその分勉強すればよい。
授業はあくまで補助。勉強は最終的には「独学」だ。

私もいい教訓になった。
学生が雑談している時に叱るのは全く意味を
なさないことを。
学生は授業がツマラナイのだ。
当事者になるとわからないのかもしれないが
傍で見ているとよくわかる。
雑談するのは、学生側が悪いのではなく、
そんなツマラナイ授業をする教師の側が悪いのだということを
しっかりと肝に銘じておきたい。